農家をフックとした事業の多角化を実践する若き事業家

タルト専門店「小恋路(オレンジ)」 オーナー 中平和彦さん


農家の傍ら、タルト店を経営して2年。新店舗も計画中!

市田駅前にある、タルト専門店「小恋路(オレンジ)」のオーナーである中平さん。こだわりは「南信州のフルーツと農産物を贅沢に使ったタルト」だ。
「旬の時期になると、農園で収穫した柿とさくらんぼを使ったタルトもあるんですよ」という。
高校を卒業後、いくつかの職種を経験の後に就農。研修先の農家さんがさくらんぼを栽培していたことと、祖父が栽培していた柿の2種類をメインに栽培している。
就農して6年、サクランボと柿は収穫時期も半期ずれており、天災の影響も受けにくいため、経営しやすいという。
農家を営む一方で、事業の多角化を考えている中平さん。実は、新しい店舗経営を計画している最中だという。

農家としてのこだわり、農産物への想いは熱い

中平さんの農産物への想いはとても熱い。タルト専門店にした理由も、「素材の形や味を活かすことができる」というものだ。
「農産物の加工と言えば、ジュースやジャムが定番。すると加工所はこの辺でも2~3件しかなく、同じような味の仕上がりになってしまうし、形が何もなくなってしまうので、面白味がない。傷がついてしまったものでも、その部分だけ取り除いてしまえば充分素材を活かせる」と語る。
柿についても、「恵那には、市田柿に栗きんとんが詰まった商品があり、とても人気だという。高森町には、せっかく市田柿という素晴らしい商品があるのに、それを活かせるものが現状ではない」という。
実は、将来的には農産物など製造加工販売が出来るような事業をしたいと考えている中平さん。農業だけにとどまらず、経営の多角化を進めるのは「将来やりたいことをするための体力(資金力)作り」という。

経営者としての視点、見極めは冷静に

実は、就農当初は自分自身がしっかりと収入所得を得たいと考えていたという中平さん。
「農業取得600万円以上取れる職種でなければ、若い人も農業を目指す人がいないと思う。300~400万円の手取りなら、一般企業に就職したほうが、休みやボーナスもあるので、絶対にそっちを選ぶと思う。そこを変えたいという思いがあった」
ただ、実現するには現状なかなか厳しいと感じたという。
そこで、農業は継続しつつ自分の将来やりたいことのために、事業の多角化を進める中平さんだが、何かを始めるにあたっては、現場を知り判断することを忘れない。
「実は、柿やさくらんぼの栽培の他に、葉物野菜を作ってレストランに卸したいと考えた時があったんです。実際にレストランで働いてみて、『事業の一つとして成り立たせる為には数店舗での契約では厳しいし、配達の手配も大変』ということが分かり止めました。タルト店を始めたのは、洋菓子店でアルバイトをして内実を知り、経験を積むことができたから」という。自身が経験することで、現場を事前に知り、事業として成り立つかを冷静に判断することは、簡単に出来ることではない。

イメージはある。それを実現するためどれだけ力をいかに蓄えられるか。

中平さんが一番やりたいと考えている事。それは、「選果場・直売所・ドライブイン・観光案内の集合体を作ること」だという。
「1か所に集めることができれば、生産者・加工従事者・観光客のすべてがそこに集まる。賑わって話題になれば、観光客もまた来るようになる。生産者も『あの施設に出荷すれば選別もしてくれて手間が省ける』と考えてくれるようになればその分本来の作業に集中できるし、収入も増えると思う」と語る。
「集合体が一番強いということは、イオンモールなどの成功事例を見れば既に答えは出ている。今までは、それぞれが別々の場所に作られていた。町単独では不可能でも、近隣の行政と協力し合って施設をつくり、シャトルバスを出せば民間のバスや高齢者のバスも回すことができるようになるのではないか。すべてが繋がってくるのが理想」と熱く想いを語る一方、「現状ではそれを実現できる実力がない。そこに向かって、段々と体力をつけて、大規模なものは出来ないかもしれないが、死ぬまでにどこまでできるのか?と考えて今はやっている」と冷静に自己分析をする中平さん。
「熱中小学校では、飯田市以外からも色々な方にお会いすることができる絶好の機会。自分の刺激になれば良いと思う」そう語る中平さん。タルト店に続く第2、第3の事業がワクワクするようなものであることに間違いありません。

取材先:タルト専門店 小恋路(オレンジ)
高森町下市田2964-27
TEL:0265-48-6453
水曜日定休

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