「農家×他業種経営」市田柿を使った肉そばで、現在話題沸騰中!

小松屋株式会社 代表取締役 手塚勇さん


「経営の多角化」は幼馴染からのラブコールだった

国道に大きな看板。わき道を入ると、広い庭の奥に、その店はあった。
「肉そばこまつ家」を経営する手塚さんは、市田柿を生産加工する柿農家でもある。
「柿農家と肉そば」一見、何の脈絡が無いようにみえるが、実は、手塚さんには東京でそば屋などを経営する事業家として活躍する幼馴染がいる。その幼馴染からの提案で始めたのが「肉そば店」である。
就農当初から「そば屋さん始めなよ」といわれていたそうだが、最初は柿農家としての日々で手いっぱい、話半分に聞いていたという。ただ、柿農家としての通年を考えた時、収穫と加工の最盛期が10月~2月くらいまで。それ以外の期間は、比較的空き時間があることに気付いた。
「幼馴染の経営している店の肉そばを食べて、地元には無い味だし美味しかったので、やってみることにしたんです」という。
店舗のコンセプトは、「讃岐うどん」をイメージ。幼馴染と二人で香川県を訪ね、様々な店舗を見て回り、「自分たちは農家なのだから、農家の軒先にある農業倉庫でも面白いのでは?」という発想に至ったという。
「美味しくてリーズナブル。お腹がいっぱいになる蕎麦」、「市田柿農家が経営している」「高級食材である市田柿ふんだんに使用して煮込んだ肉」
幼馴染からのアドバイスを基に、準備の段階から拘ったブランディングで開店してから1年。メディアにも取り上げられ、人気は上々だ。

農家としての新しい形のロールモデルになれば

「農家と言えば、1年中働けるように米を作ったり、柿を作ったり、野菜を作ったりのローテーションを回しているが、その一つが他業種でも良いのでは?と思うのです。たとえばコンビニを経営しながら農家をするなど、色々な形がある」という。
柿農家と肉そば屋を長く継続することを考えての株式会社設立。
「社員を入れたりして、地域の市田柿を絶やさないように生産を増やしたり、独自のブランドで出したり。そういう形が整えば売り上げも伸びるだろうし、そば屋も店舗を増やせる可能性もある。よいタイミングで会社組織にできたので、ただの農家ではなく、可能性を広めることが出来れば」という。
また、会社組織にしたことで、働く環境などにも着目するようになったという手塚さん。
「サラリーマンとして、給料を頂いて農家をやりたい」と考えている人も少なからずいるそうで、そういった人たちが興味をもって、就業規則や年金制度を決めるなど、安心して働ける環境が作ることができればと考えているそう。
「現状、従業員が休憩できるスペースがない。事務所なりトイレやシャワーで汗がながせられるような設備ができれば、スタッフの受入れもスムーズにできると思うので、様子をみながらやっていきたい。それで一緒に働いてくれる仲間や後継者が出来れば、イメージしているスタイルが続いていくと思う。せっかく、市田柿と言う先人が作ってくれた特産品があるので、継承しながら会社を大きくできたら良い。肉そば文化も定着して、地域を盛り上げることが出来たら楽しいですね」と笑顔で語る。

「立場が人をつくる」熱中小学校をきっかけに何かしらの刺激をもらえれば

「経営する立場になって、初めて色々な情報を得たくなった」という手塚さん。
そこには、「肉そば屋さんを大事にしていきたい」という思いがある。
「それまでは、経営者側から地元の飲食店をみることはなく、友人知人が地元をどんどん利用しようとしている中でも自分にはそういう気持ちはなかった。」という。
ただ、東京で活躍する幼馴染から、都会へでて初めて分かる地元の良さ、「故郷に恩返ししたい」という話を聞いて、地域の良いところなどを知るようになった。
「店舗を庭先に構えるのも田舎ならでは・・・そういう部分を彼から教わった。そこから、農業に対しても色々な農法を知ってみたいと思えるようになった」という。
「長野県に一つしかできない熱中小学校が地元高森で開講する。地域を盛り上げたいと思う人が集まって刺激し合えば、きっと面白いことができるのではないか。リニア開通時までにそれが実現していれば、それを目がけて来る都会の人、他県の人に魅力的な高森町を知ってもらえる。そして壬生町長が言われる「関係人口」が増えていけばみなみ信州のブランドを世界に発信できる。」と語る手塚さん。
幼馴染とも「地元で何かできたら面白いね」と色々なアイデアの話をすることもあるそうで、今後の展開にも注目です。

取材先:肉そばこまつ家
高森町下市田513
TEL:0265-53-5028
火曜日 定休

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